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2005年秋号〔第3号〕

VIVOギャラリー 「陽光」


なかまたち 「レイハワイアンズ」

新たな生きがい発見
なかまが集って趣味に興じる。そこに新たな生きがいを見出した人々の笑顔は何ものにもかえがたい。そんな「なかまたち」の活動を紹介する。多少の自慢話も混じえて。

ウクレレの音色に惹かれて レイハワイアンズ
03-02-1.jpg羽島市にハワイアンバンドがある。その名も「レイハワイアンズ」。練習場ではアロハシャツ姿の男性と今にもフラ(日本で一般的に呼ばれているフラダンス。正しくはフラなのだそうだ)を踊りだしそうなムームーをまとった女性たちが演奏の練習に余念がない。そこに流れるハワイアン独特のゆったりしたメロディー、ウクレレ、ギターの音色、響き渡るすばらしい歌声はまさに常夏のハワイを思わせる。心地よいリズムの中、リーダーの岡田茂さん(54)が、バンドの成り立ちを穏やかな口調で話し始めた。平成15年に結成されたこのバンドは、そもそも現メンバーの一人にウクレレを習いたいと持ちかけられたことから始まる。仲間を募ってもらい、まずウクレレ教室が開かれた。ウクレレだけでは飽き足りなくなり、フラダンス教室とも歩調をあわせて、ついにハワイアンバンドの誕生となる。現在のメンバーは10名。平均年齢50歳で、羽島市の住民が中心だが、お隣りの愛知県から通う人もおり、地域にこだわらず広く参加者を求めている。結成して三か月で市民病院の院内コンサートへのお声がかかり、以来市や商工会のイベント、竹鼻商店街(一葉亭)ミニコンサートなど10回を越える発表の場を持ってきた。「今後はもっと技術を磨き、施設などでの癒しコンサートを開いていきたい」と、抱負を語る。

夢は真冬のハワイアンフェア
03-02-2.jpgそのためにも、メンバー全員で本場ハワイに行くこと。「直に音楽、環境に触れることで、自分たちのハワイアンの質を高めたい」。そして、その集大成として〔真冬のハワイアンフェア〕を開催することが、岡田さんが仲間とともに抱く夢。「県下、県外のバンド、フラのグループが一堂に集い、真冬にハワイを実現したい」「ところでハワイを代表するもの三つてわかりますか?」突然の質問に即答できずにいると、「ひとつは、ウクレレを象徴とするハワイアンバンド。そしてフラ。三つ目はハワイアンキルトです」。これらを全部集めての〔真冬のハワイアンフェア〕期待が大きくふくらむ。
レイハワイアンズ 連絡先 Tel.090-9122-8803

なかまたち 「みんなのマジック かかみがはら」


こんなところに温泉が うすずみ温泉


介護 わたしの知りたいこと シリーズ3 「おばあちゃんが転んだ!!」

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VIVOな人々 支援は無限なり 後藤明さん

それは91年6月の長崎県雲仙普賢岳の噴火。仲間の実家が被害に遭い、みんなで医薬品を送った。思いのほか感謝されたことが、ボランティアにのめり込むきっかけだった。その後、阪神淡路大震災、日本海重油流出事故、東海豪雨などの救援活動に参加し、災害ボランティアとして活動を続けている。国内にとどまらず世界にも目を向ける後藤明さん(50)は、NGO『アジア太平洋子供救済センター・この指とまれ』の代表として、国内のみならずカンボジアの地雷除去、義足支援にも積極的に取り組んでいる。写真家でもある後藤さんは、従軍カメラマンとしてアメリカ軍に帯同し、実際カンボジアの現地に入り、地雷除去作業や地雷被害者、貧民街に暮らす子供たちなどの生々しい現状をフィルムにおさめている。ここまで危険極まりない活動に駆り立てるものは何なのか、しかもボランティアとして…。はたしてキリストにも似た風貌が為せる業なのか。

飢えで死ぬか、地雷で死ぬか。
03-06-1.jpg03-06-2.jpgカンボジアは30年近く続いた内戦により国内各地は戦場と化し、戦いが終息した今も全土に地雷が800~950万個埋没していると推測される。「地雷が埋まっている畑で農作物を作らずに飢えで死ぬか、生きていくためにその畑で地雷により手足を失うか、命を失うか…」生死を分かつほどの過酷な現状。40分に1人の割合でどこかで誰かが地雷の被害に遭うカンボジア。毎日7、80人もの手足、尊い命までもが奪われている。その被害者の80%は一般市民で、その中には14歳以下の子供たちがなんと四割(年間四万人弱)に達するという。そうした人々に「義足を一つでも多く贈りたい」とアルミ缶回収による支援資金集め、写真パネルによる現状報告会、講演会を行っている。「婦人会、老人会、小・中・高校での写真展示を添えての講演会などでは、その惨状に思わず目を覆い隠す人もいます。そんな人たちも『自分達は現地に行くことはできないけれども…』と、その人たちなりの支援の手を差し伸べる。そんな時、続けていてよかった、これからも頑張らねば」と、勇気づけられます。誰もが今すぐ参加できる支援のひとつがアルミ缶集め。ちなみにアルミ缶は1個1円で換金される。義足は1本5~10万円もし、カンボジアの人にとって高価なもの。膨大な量のアルミ缶を要する。後藤さんたちは「各地へアルミ缶を回収に回るわけにも行きません。それぞれで換金していただけると助かります」若い時は仲間達とレーシングチームをつくり、欧州などのラリーに参戦して楽しんでいたこともあった。あの時の普賢岳への支援が後藤さんの人生を一転させた。「かわいそう、大変そうと言っているだけではなく、本気で動こう」と。

あなたなりにできる支援を
「アジア太平洋子供救済センター・この指とまれ」では、支援者を募っている。
・被災地の復旧作業及び物資支援、福祉活動
・世界各地の被災による子供達の飢え、貧困等の救済支援を主な活動とする
支援参加は、2,500円で会員証がわりのTシャツとステッカーを購入すれば、永久支援会員の認定を得られ、活動支援につながる。(サイズはフリー、色柄はおまかせください)
送金先は郵便振替で 00810 - 6 - 118603 備考欄に会員希望と明記。
問い合わせ FAX. 058-392-2284 事務局まで

取材を終えて
「子どもが地雷を踏んで、よかった…」のっけからショッキングな言葉で始まった今回の取材。国内外を問わず駆け回る後藤さんの話は、生々しく悲惨である。しかし、これが現実。特にカンボジアの実態は、衝撃的過ぎて文章にできないもどかしさを感じる。腕が、足が、命が一瞬のうちに吹っ飛ぶ。決してドラマでも映画でもない、紛れもない事実。その話を聞き、写真を見ているうちに、なぜか無性に腹が立ってきた。一体何に腹を立てているのだろう。戦争に?何もできない自分自身に?なにもかにもに「?」がつくばかり。
 冒頭の言葉は、『人ひとりを犠牲にして、ようやく一つの地雷を減らすことができてよかった」の意。11~15円のプラスティック製地雷で命を落としてしまう現実。人の命とお金のアンバランス。この落差の大きさに憤りを感じる。
※Tシャツとステッカーをセットで二名にプレゼント。(16ページをご覧下さい)

そばの話 第三話  新ソバと年越しソバ  木毎庵 そば専人 梅田 庄一郎

03-07-1.jpgもうすぐ「新ソバ」の季節です。新米、新ソバ、新ワイン、どれも待ち遠しいものです。旬の限られた期間だけ味わうことができる特別な時空間的な存在だからでしょう。この日を待ちわび、シビレを切らし口にほおばる瞬間を想像すると、ワクワクするものです。ソバは春と秋に採れる穀物ですが、近年は秋一度の収穫をするところが多くなりました。世間では、ソバは荒れた土地がよいといわれますが、荒れすぎてもよくないのです。年二回の収穫を行うと土地が痩せ、おいしいソバにならない、それと良いソバには高値が付き、年一回の収穫で充分採算がとれるからです。秋の収穫期は、早くは北海道の九月から始まり、遅いところは一〇月末までとなります。種蒔きが早いと、土地が熱く焼けて種が腐り、遅ければ霜にやられる。そのタイミングは非常に難しく自然頼みのところがあります。こうして出来たソバが「新ソバ」です。では、新ソバとはいつまでを言うのでしょうか。それは一二月末日まで、すなわち年内のことです。年を越せば普通のソバです。年越しの話しがでましたから「年越しソバ」のいわれを少し話します。これには各地に諸説があってそこからいろいろと伝わりました。
・ソバの形状から、身代が細く長く延びるように長寿であるようにと。
・年末にソバを食べると運が向く。
・ソバが切れやすいことから、前年の災厄を切り捨てるために。
・金箔を延ばす時そば粉を使うことから、金を伸ばすという縁起で始まった。などなど、そのいわれは定かではありません。それぞれの思いで年越しソバを食べてゲンをかつぎましょう。
次回は蕎麦屋のマナーについてお話します。

ギャラリーのある喫茶店 ギャラリー風庵/カフェ&ギャラリー欅


新シリーズ 失われしモノたち 「油紙・のぼり鯉」「柳行李」


《小さな旅》シリーズ 里山ウォーク3

雲と風に秋の匂いがした。大正の一詩人の詩句をからめて、口ずさみたくなった。「おうい雲よ…どこまで行くんだ 岩手の里まで 行くんか」と。今回は雲と風に誘われて、垂井町岩手の里へ。戦国の智将竹中半兵衛ゆかりの地であり、その居城であった菩提山に登ってダム湖に下り、そして周辺の史跡を訪ね歩いた。

曼珠沙華の華やぎに伝説の大杉
03-10-1.jpg初秋の里は、花の朱色に染まって華やいでいた。とくに県道関が原線が大きくカーブする周辺の彼岸花は、大群生地となって見事だ。この華やぎに心を弾ませて、スタート地点を岩手の西隣、伊吹の集落にある伊富岐神社にした。この神社には県下有数の大杉がある。関が原合戦時にも伝説を残している大樹で、樹高は三〇・、根元の周囲約九・六・あって、地上五・付近で幹は四つに分かれている。うぅーんすごい、見上げながら思わず声が出た。

稲田の只中を行く
神社を取り巻くように東海自然歩道が稲田の只中を走っている。これを山側に向かって歩くことにした。丘を上って鉄道架橋を渡った。ここ垂井町では東海道本線が二本に分かれ、これは下り線だ。自然歩道と別れ、右脇の溜池を見ながら白山神社前に着いた。ここが菩提山登山口で、四、五台駐車できそうな広場があり、脇に薄墨桜二世という桜とハイキングコースの案内板があった。まず神社の石段を登って奥に進む。左手に、芭蕉の句碑がある。

此の山の 悲しさ告げよ ところほり


当時の大凶作を詠んだ芭蕉に共感し、幕末に土地の俳人が建てたものらしい。鎮守の森に一瞬翳りを見た。社の左を登山道に随って行く。しばらくして分岐点。「岩崎神社へ」の道標を見る。これは下りに使うとして、そのまま頂上をめざした。

軍師はるか、菩提山山頂にて
03-10-2.jpgやや緩やかな斜面になったかなと思うころ、尾根の際に掘り込まれた跡のような所を見受けた。おう、これが菩提山城の痕跡?と囁き感じ入っているうちに頂上に出た。樹林の中だが、南はひらけて直下に岩手の集落と、遠く美濃の平野が眼前に広がる。背後は伊吹山系に連なる山々が幾重にも控え、山城としては格好の要害というわけか。三木城攻めで病死をした城主竹中半兵衛重治、名利を求めず秀吉を天下人にした軍師。行年三六歳。半丸太のベンチに腰掛けながら、とりとめもなく思いを馳せ山頂を辞した。

ああ 東西方言境界線…
分岐点まで戻って岩崎神社方面へ下山開始。小谷沿いに歩いて車道とぶつかるが、そのまま舗装の坂を登って明神湖に出た。蒼緑に被さった谷奥の道を眺めやりながら、思い出した。職場の同僚で、ここ岩手出身のMさんがこんなことを話してくれたことがある。「岩手からはネ、峠を越えて春日村へ行けた。そこを経由して近江からも人が来たの。」彼女が岐阜市に住むようになって、アクセントの相違で困惑したこともあると言っていたっけ。そうだ、方言学的にも垂井、関が原は東西の方言境界線という説が有力なのだ。妙に納得して、足取りさえ懐かしくなった。

旅気分が一世紀前に
堰堤南の斜面に付いた階段を真直ぐ下りると、岩手川沿いの集落に出た。この辺りの家々は石垣を高く積み上げ、しっかりした造りの家が多い。川筋に延長百・もあるかと思われる立派な築地を持つ屋敷もあった。旅気分が一世紀前に舞い戻るほどの印象だった。岩崎神社はここからすぐ左手にあった。道は大滝方面から来る東海自然歩道と合流し、竹中氏の菩提寺である禅憧寺の前を通る。嫡男重門が移したという半兵衛の墓は、山手の墓群の奥にあって、痛んだ祠が歳月の無常を語っていた。

岩手の幼稚園は歴史でいっぱい
東海道線のガードを潜ると、まもなく史跡のメイン竹中氏陣屋跡。裏手は幼稚園になっているが、白壁塗りの櫓門、牢固な門扉、目隠しのある石垣と濠と、半兵衛以後の竹中氏の隆盛を語ってやまない。南に少し振って公民館隣の菁莪(せいが)記念館へ、今回の結びとして立ち寄った。ここの玄関が断乎おもしろい。何しろ日本近代の創生の洗礼を受けた建物なのだ。旧竹中藩校菁莪堂が母体でもある岩手小学校から移築されたもので、よくぞ残された、という感慨に浸った。自然歩道を西に戻りながら、今回はおよそ七・ほどの小さな旅だが、歴史と自然に触れて、心内が絨毯のように深々と分厚かった。
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①伊富岐神社
03-11-1.jpg地方豪族伊福部氏の祖神を祀ると言われている。
大杉は県の指定天然記念物。







②芭蕉句碑
03-11-4.jpg元治元年(1864)の建立。句は芭蕉の紀行「笈の小文」にあり、伊勢の菩提山で詠まれたもの。「ところ」は自然薯の別種。







③菩提山
標高401m。国土地理院の地図に山名はない。この山頂に竹中氏が居城を構えた。南北およそ260m、東西最大幅60mの城跡であったと言われている。
④禅憧寺
現存の本堂は、半兵衛重治の孫重常が寛文3年(1663)に建立したもの。竹中氏とその家臣の菩提寺になっている。
⑤竹中氏陣屋跡
03-11-5.jpg重治の嫡男重門が拠点とした堅固な陣屋跡である。門裏に階段があるので、石垣に登って眺めるのもよい。



⑥菁莪記念館
03-11-2.jpg天保年間に竹中氏は、道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導した。それを記念して建てられたもの。見学希望の場合は、岩手公民館に問合せのこと。(Tel.0584-22-1007)







[交通案内]
伊富岐神社へは、JR垂井駅西広場から垂井町のコミュニティバスがある。1日3回あり、「伊吹組合倉庫南」下車。但し、バスの運行は平日のみ。

ちょっとひとこと
なお、記念館南広場では、日曜日朝市が開かれる。また自然歩道で西に向かう場合、一部畦道になるので注意。その先の踏切横には立派な休憩所とトイレがある。

あ・ら・か・る・と


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