新たな自分に出会う情報発信誌 VIVO 2012年冬号 第28号

新たな自分に出会う情報発信誌 VIVO 2012年冬号 第28号 page 7/24

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とっておきの話槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓がある老舗の実業家が建てた寺「正道院」岐阜市役所のほぼ真東に当たる閑静な住宅地、柳沢町に播隆山正道院という寺院がある。この寺には山門を入ってすぐ左側に北アルプ....

とっておきの話槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓がある老舗の実業家が建てた寺「正道院」岐阜市役所のほぼ真東に当たる閑静な住宅地、柳沢町に播隆山正道院という寺院がある。この寺には山門を入ってすぐ左側に北アルプスの槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓碑がある。上人の墓は正道院と富山県の生家、揖斐川町の一心寺、美濃加茂市の祐泉寺の四ヶ所にある。播隆上人の名は新田次郎の小説『槍ヶ岳開山』によって世間の人々に広く知られる所となった。上人は寺院修行よりも山岳修行の道を選び、岐阜では南宮山、伊吹山等、念佛行者として山岳修行を重ねた。記録によると一八二三年から一八三五年までの間に笠ヶ岳に四回、槍ヶ岳に五回の登頂を果たしている。山頂には祠に収めた佛像を安置し開山の証とした。こうして数々の偉業を残し上人は天保十一年(一八四〇年)中山道、太田宿で五十五歳の生涯を閉じた。正道院は播隆上人が開山した寺の一つであるが現在は第十世、竹中純瑜住職が守っておられる。毎月二十一日には播隆念佛講が行われ上人の遺徳を偲んでいる。播隆上人と地元の実業家であった岡本太右衛門家とはつながりが深く江戸時代まで遡る。岡本家九代目の当主は当時、病弱に悩んでいたが播隆上人と出会い、上人に帰依したところ、健康を取り戻すことが出来た。その感謝の念を表わすため寺院の建立を思いたった。そこで九代目当主は寺社奉行に願い出て正道院を建立した。当の岡本家は歴史が古く永禄三年(一五六〇年)創業と伝えられる。茶道の祖ともいわれる千利休に茶釜を作って納めたと伝えられ、岡本家九代目の当主も寺の軒に吊るす鐘を作り上人の生家に贈っている。当主の号が入った鐘は現在「富山市大山民族資料館」に展示されている。岡本家は昔から鋳物製造を生業として今に続く商家で、屋号は『ナベヤ』と称し当主は代々、太右衛門を名乗っている。現在の当主は十五代目に当たり、昔からの鋳物業の技術に加え最先端の金属加工業の会社として発展を続けている。境内には岡本家代々の墓をはじめ、いくつも墓碑があるが全て金属製の円筒形で立派なものである。播隆上人が修行中常に食していたといわれる「そば粉」と「ワカメ」をモチーフとしたクッキーが販売されていて表面に槍ヶ岳の姿がデザインされている。ガレットと呼ぶこのユニークなお菓子は市役所近くにある「ラ・パティスリーりぼん」という洋菓子&喫茶店で手に入れることが出来る。▲槍ヶ岳がデザインされたガレット▲播隆上人木彫像▲播隆山正道院の本堂※参考資料旅雑誌「ひととき」槍ヶ岳開山播隆上人の足跡展(冊子)▲岡本家代々の墓なりわい5 VIVO