新たな自分に出会う情報発信誌 VIVO 2012年冬号 第28号

新たな自分に出会う情報発信誌 VIVO 2012年冬号 第28号 page 8/24

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小さな旅シリーズ小旅シリズ里山ウォークSatoyama Walk▲兼山瀞▲下渡橋から古城山をのぞむ▲正伝寺椿大門▲椿大門の白椿▲古城山と街道筋▲巨大タンク群美濃には古城山と呼ぶ山が三つはある。そのうち、二つ(美濃....

小さな旅シリーズ小旅シリズ里山ウォークSatoyama Walk▲兼山瀞▲下渡橋から古城山をのぞむ▲正伝寺椿大門▲椿大門の白椿▲古城山と街道筋▲巨大タンク群美濃には古城山と呼ぶ山が三つはある。そのうち、二つ(美濃市と山県市)はすでにこのシリーズで採り上げた。可児市のそれは河岸段丘上にあり、飛騨木曽川国定公園の一部で、景勝地として兼山瀞がある。兼山町へは、北接する八百津町の西から入った。「野上」の信号交差点から南西、県道脇に「稲葉城公園」の標示がある。奥まった所に新しい建物と、堀切を隔てて芝生広場があり、城風展望台もあった。展望台に上って見ると、なるほど満面に水を湛えたダム湖が悠然と広がっていた。公園の解説板に、稲葉氏はお灯明の油を採るために、椿の木を植えたとある。それが正伝寺に椿大門として残る、という。好奇心が正伝寺へと誘った。さっきのバス停の北、数百メートル先だ。山沿いの寺はひっそりとして閑、椿大門は容易に見つかった。何本かの椿の大樹がみだれ気味に並び、白椿が花を思いっきり咲かせていた。寺の説明板には、当時の禅師を頼って、宮本武蔵もこの寺にやって来たとか。再び信号交差点にもどり、南の坂を下った。途中、車道を避けて畑中の道から民家を縫ってダム湖の稲葉橋へ。橋を渡ってすぐ道を右折する。前方に白い巨筒群が?見上げるほどの巨大な円柱タンクの林立。好奇の目は社門の前まで続く。酢の醸造工場であった。愛知用水取水口の標示近くまで来ると、県道と交叉する。ここが八百津町と可児市の境界で、右手に兼山ダムが垣間見できて、やっと兼山エリアに入る。兼山橋辺は長可が名付けたという魚屋町、また、街道筋の家並が揃ってくる、六角堂からは本町だとか。古い家並をたのしみながらも車数台の騒音と、静寂の繰り返し。まずは古城山の金山城址をめざした。信号のあるT字路を左折、歩行者専用道は坂道になる。トイレのある駐車場が登山口だ。「蘭丸ふる里の森」として公園化され、遊歩道が完備、春は桜で彩られる。山好きには造作のない道のほうがいい。石垣や曲輪をあれこれと探すうちに、三の丸跡から天守があった本丸跡へ。木々に遮られて、残念ながら山頂の展望はいまひとつ。城は西方を大手、東方を搦め手として戦国時代の美濃に、森長可という武将がいた。金山城(可児市兼山町)の城主であり、本能寺で戦死した森蘭丸の兄である。長可は武田・越後攻めなど歴戦の武将で、槍術に優れ、異名は鬼武蔵。また、かれの遺言状には、リアリスト長可の叫びも発見する。そんな森一族ゆかりの兼山へ八百津側から入り、古城山に登った。城下は、木曽川と河湊の歴史が醸しだす町であり、古趣と風情の小さな旅になった。剣豪も見た?稲葉城址から椿大門へ巨大タンクは見上げ、ダムは垣間見る魚屋町・本町筋から城址まで金山城址にて思う、不退転の長可とろくるわからたたかいまみながよしかも6VIVO